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静岡地方裁判所富士支部 昭和59年(ワ)142号 判決 1989年8月18日

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告澁谷惠美子(以下「原告惠美子」という。)に対し金三五五五万〇七九一円、原告行天早苗(以下「原告早苗」という。)に対し金三四六七万一一六一円及びこれらに対する昭和五九年五月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告惠美子は亡澁谷和一(昭和五九年五月一六日死亡。以下「和一」という。)の妻、原告早苗は和一の長女である。

被告平林幸三(以下「被告平林」という。)は快明堂医院の名称をもって整形外科・外科等を診療科目として医業に従事している医師であり、被告藤井滋(以下「被告藤井」という。)も同様に藤井整形外科医院の名称をもって整形外科・外科等を診療科目として医業に従事している医師である。

2  和一の受傷及び死亡に至る経緯

(一)和一は、昭和五九年四月二七日(本件で主に問題となるのは昭和五九年四月、五月の事柄であり、以下「昭和五九年」の記述は省略することがある。)午後七時頃、誤ってブロックの石を右足親指(母趾、第一指)の上に落とし、同所を受傷し、受傷による出血がひどかったが、家庭用の傷薬を塗って様子をみたものの、痛みがとまらなかったので、同日午後八時頃、快明堂医院で被告平林の診察を受け、同被告から受傷部を洗浄したうえ、そこに薬を塗布する治療を受け帰宅した。さらに、和一は、翌二八日も被告平林から受傷部に薬を塗布する治療を受けた。

(二) 翌四月二九日になっても痛みがおさまらないどころか、かえって痛みがひどくなってきたので、和一は、医師の治療を受けようと思ったが、同日は日曜日で快明堂医院が休診日のため、同日午後三時頃、その日の診療の当番にあたっていた藤井整形外科医院で被告藤井の診療を受けた。その際、被告藤井は、和一の受傷部を診察し、「昔なら指を切ってしまう治療をするのですが、そうしない治療をしましょう。」と言って傷に薬を塗布する治療をした。治療が終ってから、原告惠美子が被告藤井に対し、「痛みがいつまでもとまらないので入院した方が良いですか。」と聞いたところ、同被告は、「痛みがとまるまで、二、三日入院した方が良いでしょう。」と述べたので、和一はそのまま藤井整形外科医院に入院した。入院後も和一の傷の痛みはひどく、ベッドから起きて松葉杖を使って歩くと足に血が乗るせいか大変痛がって、起きて手洗いに行くのも嫌がるような状態であった。

(三) 入院翌々日の五月一日午前中、和一は、ものを食べるとき口がかったるいような感じを受け、そのことを同日午後六時半頃、見舞にきた弟の澁谷義夫(以下「義夫」という。)に告げた。この時、すでに破傷風の徴候である開口障害の症状が明らかに現われ始めていた。

次の五月二日にも、和一は、見舞にきた義夫に顎がかったるいと開口障害が継続していることを訴えていた。同日午後七時半頃、原告惠美子が和一の病室に様子を見に行ったところ、和一は、口が半分開かないのでご飯も食べられないと開口障害が進行していることを告げていた。

このことを聞いた原告惠美子は、十数年前、弟の妻の杉山照子が破傷風にかかり、口がよく開かなかったことを思い出し、もしかしたら破傷風にかかっているのではないかと和一に話すと、和一は、被告藤井に口の開き方がおかしいと話したら頬に注射を打ってくれたから大丈夫だろう、と答えていた。

しかし、原告惠美子は、破傷風の不安をおさえることができなかったので、病室に見回りにきた同被告医院の三輪ひろ子看護婦(以下「三輪看護婦」という。)に対し、「顎が動かないと言っているのは、もしや破傷風ではないですか。」とその不安の気持を話したところ、同看護婦は、「先生(被告藤井)がついて治療しているのですから大丈夫です。そのための予防薬ですから寝る時、お尻に入れて下さい。」と言って坐薬を原告惠美子に手渡した。

原告惠美子は、同日午後八時頃、帰宅したが、和一の症状は破傷風ではないかとの疑いを否定できなかったので、午後一〇時頃、破傷風なら早く治療を受けさせたいと思って、同被告医院に電話をして、電話に出た看護婦に対し、「破傷風ではないかと思うので、心配ですからすぐ病院に行きます。」と述べたところ、その看護婦は、病室を見てきますからと言って受話機を置き、まもなく受話機を取って、「病人(和一)はよく寝ていますから大丈夫です。」と言ったので、非常な不安を感じながら、その看護婦の言葉を信じ、和一のもとに行かなかった。

(四) 原告惠美子は、このような不安から眠れぬ一夜を過した翌五月三日の午前四時四五分頃、被告藤井から、和一はやはり破傷風のようですから、すぐ中央病院(富士市立中央病院)に入院させますからすぐ来て下さいと言われたので、原告早苗、義夫ほかの四人で同被告医院に駆けつけた。

原告らとしては、中央病院に入院させるということで呼ばれたので、直ちに中央病院に転院させるものと考えていたところ、同被告は、中央病院は午前九時にならないと開院しないので、その時間まで同被告医院に置いておきますと述べて暗室を作る準備に取りかかった。原告らは、余りに悠長な同被告の態度に驚き、同被告に破傷風は一ときを争う病気なのですぐ中央病院に入院できるよう交渉して欲しいと懇請し、その結果、同日午前六時頃救急車で和一を中央病院に運び込んだ。

(五) 和一は、中央病院で血清注射等の破傷風の治療を受けたが、すでに有効な治療を施す時期を失していて、翌五月四日午前九時頃から痙攣を起こし、同日午前一〇時頃から人口呼吸による治療を受けたが、意識を喪失したまま、昭和五九年五月一六日午前零時四五分、破傷風によって死亡した。

3  被告らの過失(共同不法行為)

(一) 破傷風の予防には、<1>第一段階として、創傷部に破傷風菌を存在させないこと、<2>第二段階として、創傷部を破傷風菌の生育に好都合な環境としないこと、<3>第三段階として破傷風菌の産生する菌体外毒素を無毒化することの方法がある。<1>は初期段階において創傷部の浄化すなわち創傷部内の異物の完全な除去、壊死組織の十分な切除など一般的な外科的処置を徹底的に行なって破傷風菌の存在を排除しておくことであり、<2>は創傷部位を開放して菌の増殖を防ぐことであり、<3>は沈降破傷風トキソイド(以下「トキソイド」という。)、破傷風免疫ヒトグロブリン(TIG。商品名テタノブリン。以下、「TIG」という。)等の抗毒素を投与しておくことである。右<1>、<2>の一般的外科的処置が適切に行なわれていれば、破傷風の予防には多くの場合これだけで十分である。したがって、破傷風が発症した場合には、一般的外科的処置に問題があったと考えられる。

破傷風による致死率は、一九八一年以降、二〇パーセント以下に低下したといわれており、破傷風感染の可能性は低率だとしても、感染した場合の予後は悪く、致死率はかなり高い。したがって、医師の破傷風治療上の注意義務は重くならざるをえない。被告らの後記過失は共同不法行為になるものというべきである。

(二) 被告平林の過失

(1) 和一は前記のとおり右足親指にブロックの石を落として受傷したものでその創傷は不潔な、汚染された挫創であったところ、被告平林は、右にような創傷の和一を診察したものであるから、創周囲のブラッシング(具体的には、創周囲を手洗い用のブラシのスポンジなどを用いてイソジンソープや〇・五パーセントヒビテン水にて十分にブラッシングすること)、創内の洗浄(具体的には、創内に五~八リットルの生理的食塩水を注ぎながら十分洗浄し、異物を洗い流してから創周囲をイソジンなどで十分広く消毒し、滅菌シーツで被覆すること)、デブリドマン(辺縁切除)を徹底的に行なうべきであるのに、これらを十分にせず、創傷内に砂の異物を残した。

また、汚染創の場合には開放のまま処置するのが原則であるのに、被告平林は、創傷部位を開放することなく全部縫合して破傷風の発症を招来させた。

なお、被告平林作成の診療録(<証拠>)の処方・手術・処置欄には、「デブリドマン」、「一部開放」という記載があるが、右欄の「初」で始まる一行目と「X」で始まる二行目の間隔と、二行目と「縫合」の記載の間隔はほぼ同じであるのに、「デブリドマン」という文字は無理に不自然な形で「X-P」という文字と「縫合」という文字の間に割り込んで書かれているその記入部位からみて、「デブリドマン」は加筆されたものというべきである。「一部縫合」の記載も加筆したものとみられる。

(2) 汚染創や複雑骨折患者に対しては、破傷風予防のため、受動免疫を行なわなければならないものであり、和一の創傷は汚染された挫創で複雑骨折であったから、被告平林は、破傷風罹患の疑いをもち、破傷風発症予防のため、和一に対し破傷風の予防注射を受けているかどうかを確認し注射を受けていないことを知ったうえ、あるいは予防注射歴が不明であっても、トキソイドとTIGを投与して破傷風による死亡という不測の事態を回避すべきであったのに、破傷風の疑いをもたず、あるいは破傷風の疑いを念頭にしていながら、トキソイドとTIGを投与せず、破傷風の発症を進行させた。

(三) 被告藤井の過失

(1) 被告藤井も、汚染創である和一の創傷に対し十分な洗浄等を行ない破傷風の発症を予防すべきであったのに、十分な洗浄等をせず、創傷内に砂を残置させ、破傷風の発症を招来させた。

(2) 和一の創傷は前記のとおり汚染された挫創で複雑骨折でもあったところ、被告藤井は、和一が昭和五九年四月二九日に入院し終日観察することができたし、同年五月一日には破傷風の徴候である開口障害の症状が発生し、しかも破傷風の症状の診断は容易なものであるから、直ちに破傷風の症状に気付き、血清注射、創傷の開放等の破傷風に対する治療をなすべきであったのにこれを怠ったのみか、その後の開口障害の進行及び原告惠美子から破傷風の疑いの表明があったのにトキソイドとTIGの投与等の治療をせず、転医措置も講じないで破傷風の発症を進行させた。

また、被告藤井は、破傷風罹患の疑いを考慮していたというものであるから、そうであれば、和一に対し、破傷風の予防注射を受けているかどうかを確認し、受けていないことが分った場合あるいは不明の場合には、トキソイドとTIGを併用投与すべきであったのにその投与をしなかった。

なお、被告藤井作成の診療録(<証拠>)の主要症状・経過欄・五月二日の「2」と記載された横の部分の文字が削り取るかたちで消され、その上に新たに「夕方」と記載されて、改ざんされている。改ざん前の消された字は判読できないが、合理的に考えると、「午前九時頃」か、「午前一一時頃」が記載されていたものとみられる。

4  因果関係

(一) 被告平林が和一の治療にあたったのは、外傷患者の破傷風予防に重要な時間とされている受傷後五、六時間のゴールデンタイム内のことであるから、前記各処置を完全に行なっていたならば、破傷風の発症を回避し、あるいは破傷風菌を無毒化して和一が破傷風によって死亡することを回避することが十分にできた。

(二) 被告藤井も、前記各処置を完全に行なっていれば、和一の死亡という事態を回避し、救命が可能であった。

(三) したがって、被告らの前記過失と和一の死亡との間には因果関係がある。

5  損害

(一) 治療費 金七万九六三〇円

中央病院に支払った治療費であり、原告惠美子が負担した。

(二) 和一の逸失利益

金五一三四万二三二二円

和一は、死亡当時富士市役所に勤務中の五二歳(昭和六年八月一日生)の健康な男子で、昭和五八年に同市役所より得た収入は、金六六七万九四九三円であり、これを基礎にして、生活費控除率三〇パーセント、就労可能年数は六七歳までの一五年間、新ホフマン係数一〇・九八〇八として和一の逸失利益を計算すると、前記金額になる。

原告惠美子は和一の妻として、同早苗は和一の子としてそれぞれ二分の一ずつ和一の権利を承継取得した。

(三) 原告ら固有の慰謝料

金一八〇〇万円

和一は、死亡当時五二歳で病気をしたこともない健康体であり、原告惠美子は和一と人もうらやむような円満な夫婦として生活をし、勤務先での経歴、収入等からやっと余裕のある生活を始めた矢先の事故であり、また原告早苗の結婚式を数日後に控えた慶びの最中の事故で、原告らは本件事故により最愛の夫であり、父である和一を失い、一瞬にして奈落の底に落されたものであって、原告らの現在及び将来にわたっての悲しみ等を考えると、原告らの受けた精神的苦痛に対する慰謝額は、各自金九〇〇万円の合計金一八〇〇万円をもって相当とする。

(四) 葬儀費用 金八〇万円

控え目にみても金八〇万円を要し、これを原告惠美子が負担した。

6  結語

よって、被告ら各自に対し、損害賠償金として、原告惠美子は金三五五五万〇七九一円、同早苗は金三四六七万一一六一円及びこれらに対する損害発生後である昭和五九年五月一七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)のうち和一が原告ら主張の日に被告平林の治療を受けたことは認める(なお、その治療内容は後記のとおり)が、その余の事実は不知。ただし、受傷による出血がひどかったとの点を除いて、受傷の原因、受傷後被告平林の治療を受けるまでの経過につき原告ら主張のような主訴はあった。

被告平林が和一を初診したのは四月二七日午後八時二〇分で、その日の昼間、作業中靴の上から石を落としたという訴えであった。被告平林は、外部所見では右足親指に挫創を認め、創の状況は、汚染されていないが、「ぐちゃ」という感じであった。被告平林は、レントゲン撮影の結果、右足親指に骨折を認め、患部に外科的清掃術を行なったうえ、縫合し、創の一部を開放した。同日、抗菌剤パクシダール、胃薬トビサネート、鎮痛剤イタサリミンを投与した。 翌二八日には、被告平林は、包帯交換等の処置をしたが、同日は特段の訴えはなかった。

(二)  同(二)のうち四月二九日は被告平林の快明堂医院が休診日であったこと、同日被告藤井が当番で午後三時頃同被告の治療を受け同日入院したことは認めるが、その余の事実は否認ないし不知。

被告藤井は、和一のレントゲン撮影の結果、右足親指の骨折と第二趾にひび様の状態を認めた。トキソイド〇・五cc、鎮痛剤カピステンを注射し、外傷処置をした。入院後、鎮痛剤セルシン、抗生物質サマセフ、消炎剤ダーゼンを経口投与した。四月三〇日には、外傷処置、湿布、午前と午後に抗生物質セルトール一グラムを注射した。五月一日午前の回診の際、右下肢を下げると痛みがあるという訴えがあった。同日には、一部抜糸し、ブドウ糖に抗生物質セルトール、循環促進凝血、血栓阻止剤ウロキナーゼを加えて点滴した。

(三)  同(三)のうち五月二日午後一〇時頃、原告惠美子から藤井整形外科医院の看護婦に和一の容態の問い合せがあり、和一が眠っていたのでよく寝ていますという回答をしたこと、看護婦が座薬を与えたことがあること、五月二日夜に和一から、「夕方から顎が痛む」という訴えがあったことはいずれも認めるが、その余の事実は否認ないし不知。

被告藤井は、五月二日には、外傷処置、抗生物質セファメジン注射、五月一日と同じ点滴、血液検査をした。白血球は七三〇〇/μリットルの正常値であった。午前の回診の際は特段の訴えがなかったが、午後四時三〇分頃湿布の交換に行った看護婦が容態を尋ねたところ、夕食を食べようとしたら、顎が痛く食べにくかったという訴えがあった。そこで、被告藤井は、病室に赴き、触診したところ、身体の下になっていた左側を痛がるので、体位を交換させ、顎関節にステロイドを注入し、消炎鎮痛剤ボルタレンの坐薬を投与した。同日午後一〇時頃、原告惠美子から、看護婦に破傷風が心配だから見て欲しい旨の電話があり、病室に赴いたが、和一はよく眠っていた。

(四)  同(四)のうち五月三日午前四時過ぎ、被告藤井から家族に対し、破傷風のようであるから中央病院に入院させる必要があると話し、来院を要請したこと、病室を暗くしたこと、被告藤井が中央病院に要請し同日午前六時頃、和一が救急車で中央病院に転院したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認ないし不知。

五月三日午前四時頃、和一は看護婦に頸部痛と胸が苦しい旨を訴えた。被告藤井は直ちに和一を診たところ、頸部硬直があり、反張気味であったので、破傷風であると考え、直ちに家族に連絡するとともに中央病院に連絡し、同病院での治療を依頼した。同病院では直ちには受け入れられないとの回答であったが、再度依頼し、午前六時頃、救急車にて同病院に搬送した。

(五)  同(五)のうち和一が原告ら主張の日時に死亡したことは認めるが、その余の事実は不知。

3(一)  同3(一)の主張は争う。

(二)  同(二)のうち和一の受傷が右足親指の挫創で複雑骨折が認められたことは認めるが、その余の主張は争う。

破傷風菌は嫌気性菌で、主として湿潤な土壌中に棲息する。このことから、外創の部位が土壌等によって汚染されている場合、医師としては破傷風の発症を予見し、これを防止するため初期治療の段階でトキソイド、TIGの投与といった予防措置を講ずる必要がある。しかし、逆にいえば、すべての創傷に対し予防措置が必要な訳ではなく、受傷時の状況、創の状態から右のような破傷風菌の感染が予想されない場合、トキソイド等の投与は治療の経過にしたがってなされるべきである。そうでなければ過剰診療の問題となる。また、トキソイドとTIGの投与については、一次的にトキソイドを使用し患者の汚染が強いような場合、TIGを併用するのが一般に行なわれている処置である。

和一は、昭和五九年四月二七日午後八時二〇分、被告平林医院を訪ね、治療を受けたのだが、受傷時の説明としては、当日、昼間作業中に靴の上から石を落とした。その後、帰宅して患部を洗い傷薬をつけたが、痛みがひどいので受診にきたというものであった。被告平林が診たところ、右足親指に一~一・五センチメートルの不整形の円形状の挫創、複雑骨折を認めたが、土、泥等による汚染は認められなかった(受傷の状態からしても患部が土泥に触れたとは考えられなかった。)ので、破傷風は念頭にあったが、チメロサール〇・一パーセント液(通称マードニン)を綿花にひたして表面を消毒し、次いで患部に局所麻酔薬プロカインを筋注したうえ、手術用のブラシを使って、まず水道水により受傷部を洗い、次いでチメロサール〇・一パーセント液約二〇ccにより同じく受傷部をブラッシングした。続いて受傷部のデブリドマンを行なったうえ、粗に縫合した。被告平林の右処置は本件のような挫創に対して一般的に行なわれている外科的処置であって、トキソイドを投与しなかったが、同被告に過失はない。

また、創の外科的処置では縫合が原則とされており、殊に四肢の、二~三センチメートルまでの小さな創は可能な限り縫合すべきというのが外科の定説であるから、被告平林の処置に過失はない。

(三)  同(三)のうち被告藤井が五月二日中に和一の症状を破傷風による開口障害と診断しなかったことは認めるが、その余は争う。

和一は、四月二九日、被告藤井整形外科医院に来訪した。この時点で、受傷後二昼夜経過していたが、痛みが続いているという訴えがあり、傷を診たところ、傷の状態が汚なかった(土壌で汚れていたというのではなく、切創のようなきれいな傷ではなかったという意味)ので、予防的にトキソイドを投与し、その他の外傷処置をした。その後、五月二日まで創の痛みのほか主訴は変っていない。被告藤井は、五月二日中に和一の症状を破傷風による開口障害と診断しなかったが、和一の受傷程度、同日までの経過(外傷部位の硬直感、全身違和感、肩凝り、頸部痛といった第一期症状がみられなかったこと)から、同日の症状を破傷風によるものと診断することは困難であり、この点に過失はない。

なお、被告藤井は、本件証拠保全が行なわれるまで、原告やその関係者から本件医療について何らの折衝も受けておらず、本件医療が紛争になることは予想していなかったものであるから、診療録を改ざんする必要はなかったし、改ざんしていない。

4  同4の主張は争う。

仮に被告藤井が五月二日に破傷風の診断をし、TIGを投与したとしても、死の結果を回避することはできなかったので、同日の同被告の診断に過失があったとしても、和一の死亡との間に因果関係はない。

5  同5のうち和一と原告らの身分関係は認めるが、その余の事実は争う。

三  抗弁(過失相殺)

仮に被告らに過失があったとしても、和一の破傷風の発症、死亡については同人にも過失があったので過失相殺されるべきである。すなわち、今日一般に医学知識が普及しこれに伴って破傷風免疫についての認識も高まっている。殊に和一及び原告惠美子は、身内に破傷風患者をもったことがあり、その知識があったと考えられる。そうであれば一般的な予防として、基礎免疫を受けているべきである。被告藤井の投与したトキソイドが結果的に効果をもたらしていないが、これは和一が基礎免疫を受けていなかった過失が原因である。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は争う。破傷風の予防注射は、法的に義務づけられているものではなく、また原告惠美子は、破傷風の症状について、身内の患者から知識を得ていたのみで、基礎免疫についての知識があった訳ではない。

第三  証拠<省略>

理由

一  争いのない事実

原告惠美子が和一の妻、原告早苗が和一の長女であること、被告平林が快明堂医院の名称をもって整形外科・外科等を診療科目として医業に従事している医師であり、被告藤井も同様に藤井整形外科医院の名称をもって整形外科・外科等を診療科目として医業に従事している医師であること、和一が昭和五九年四月二七日に被告平林の治療を受けたこと、その際、和一が誤ってブロックの石を右足親指の上に落として受傷し、家庭用の傷薬を塗って様子をみたものの痛みがとまらなかったので来院した旨の主訴を申し述べていたこと、和一の創傷が右足親指の挫創で複雑骨折が認められたこと、四月二九日は被告平林の快明堂医院が休診日であったこと、同日被告藤井が当番で午後三時頃同被告の治療を受け、和一が藤井整形外科医院に入院したこと、五月二日午後一〇時頃原告惠美子から被告藤井医院の看護婦に和一の容態の問い合せがあり、和一が眠っていたのでよく寝ていますという回答をしたこと、看護婦が坐薬を与えたことがあること、五月二日夜に和一から「夕方から顎が痛む」という訴えがあったこと、被告藤井が五月二日中に和一の症状を破傷風による開口障害と診断しなかったこと、五月三日午前四時過ぎ、被告藤井から家族に対し、破傷風のようであるので中央病院に入院させる必要があると話し、来院を要請したこと、病室を暗くしたこと、被告藤井が中央病院に要請し同日午前六時頃和一が救急車で中央病院に転院したこと及び和一が五月一六日死亡したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  和一の受傷から死亡に至るまでの経緯

前記争いのない事実、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  和一(昭和六年八月一日生)は、静岡県富士市大野新田七四七番の六八に住み、富士市役所に勤務していた。和一は、昭和五九年四月二七日、日中の勤務を終え帰宅したのち、午後七時前後頃、厚手の靴下にゴム長靴を履いて、結婚を控えていた長女の原告早苗の新居の庭造りのため、一輪車で重さ六〇キログラム位のコンクリート石を運ぶ作業中、誤って右石を一輪車から落下させ、右足親指を受傷し、出血した。

和一は、妻の原告惠美子がたまたま不在であったので、近くの和一の実家に行き、患部を水洗いしたり、家庭用の傷薬を塗布し、包帯を巻くなどの簡単な治療をした。原告惠美子は、和一の実家から電話連絡を受けて同日午後七時三〇分頃、和一の実家に着いたが、着いた当時、和一は消毒をしてもらっていた。

和一の年代の者はトキソイドの予防注射を受けていないものがほとんどであり、和一は、日頃健康であったが、これまでに一回もトキソイドの注射をしたことがなく、破傷風の基礎免疫がなかった。

2  和一は、前同日午後八時頃、富士市中央町一丁目一〇番一二号所在の被告平林の快明堂医院に行き、午後八時二〇分頃、被告平林の診察を受けた。被告平林は、昭和二五年に医師免許を取得し、昭和三七年富士市で開業した整形外科・外科医であり、破傷風患者を診たのは、東京都内で勤務医をしていた昭和三六、七年頃に一例診ただけであった。

被告平林が和一を診たとき、和一はびっこを引いて患部に包帯を巻いており、患部には相当の出血があったが、血は固まっていた。被告平林は、和一から、同日に作業中、ゴム長靴の上から、六〇キログラム位の石を落として受傷した旨の説明を受けた。和一は痛みを訴えていたが、口を開けにくい、物を咬みにくい、顎関節部が痛いことなどを訴えていたことはなかった。

被告平林が患部を診たところ、受傷部位は右足親指の爪より先から爪の右寄りにかけた先端部分で、直径約十ないし十数ミリメートル位の不整形の円形状をなしており、右受傷部位には肉眼で土や泥などの異物の付着は認められなかったが、中で骨折していて、創の状況は、「ぐちゃ」という張り合いのない、緊張感のない感じであり、挫創と診断した。

被告平林は、まず患部のレントゲン撮影を行ない、その現像をしている間に、綿球に外用殺菌消毒剤チメロサール液(別称マードニン)を浸したもので患部周辺の表面をこすって消毒し、次いで、創傷部の下、すなわち足指の根元付近に鎮痛のため局所麻酔薬塩酸プロカイン六ccを筋注したうえ、痛みがとれた傷口をガーゼで巻いておおって石鹸を使用し、水道水により右足首の下以下を、傷口に水道水が入らないようにして患部の周囲を洗浄したのち、生理的食塩水ではなく、蒸留水を注射器に入れて患部の中を洗い、次いで前記チメロサール液約二〇ないし三〇ccを綿花に浸して使用し、受傷部分を傷めないようにしながら創内を洗い、傷の内側をピンセットで開いてガーゼで中を拭いたり、組織の壊死の一部をピンセットで取って創内から摘出するデブリドマン(辺縁切除)を四分位しつこくなしたうえ、皮膚を寄せ集めるようにして全部縫合し、包帯を巻いた。傷の中にガーゼを入れるドレナージ(誘導法)はせず、副木もあてなかった。被告平林は、患部を切断することは考えず、患部は切断されなかったので、骨折を起こした末端部分が残された。

確かに、被告平林作成の診療録(<証拠>)にはチメロサール液を使用したことが明記されていないが、その薬価基準は一cc一円五〇銭と極めて安価なものであり、健康保険診療点数の少ないものについては、使用量が少なければ一般開業医の間では診療録に記載しないことも多いので、右薬剤を使用した旨の被告平林の供述の信用性を否定することはできない。また、右診療録の四月二七日の「処方・手術・処置」欄中の「デブリドマン」の文字は、原告ら指摘のように、「初」で始まる一行目と「X」で始まる二行目の間隔と、二行目と四行目の「縫合」の記載との間隔がほぼ同じ位であるのに比べ、二行目の「X-P」という字と「縫合」という字の間に割り込んだ形で記入されており、やや不自然な記入方法である感が否めないが、局所麻酔薬塩酸プロカインの筋注はデブリドマン実施のためであると認められるし、この点に関する被告平林の供述が比較的詳細で具体的であり、首尾一貫もしていることなどからすれば同被告の供述の信用性を否定することはできず、本件係争発生後に不当に加筆されたものとは認めることができない。被告平林は右デブリドマンの処置料を保険請求しなかったが、当時本件創傷程度の創傷についてのデブリドマンの処置料が保険請求可能であったことを認めうる確証はないし、仮に可能であったとしても、被告平林はデブリドマンに使用したチメロサール液の薬剤料を請求する意思がなかったものであり、そのため、デブリドマンの処置を請求しなかったとしても不自然ではないから、右不請求の一事から直ちに被告平林が前記デブリドマンをしなかったものと推認することはできない。

その後、被告平林は、前記レントゲン撮影の結果、右足親指複雑骨折と確診し、化膿防止のため、抗菌剤バクシダール(ピリドンカルボン酸系抗生物質)一日六錠四日分と頓服の鎮痛薬イタサリミン、胃薬トザサネートを和一に投与した。この日は、以上の程度で治療を終えた。被告平林は、破傷風のことは年中頭の中に入れて診療にあたるようにしており、和一の受傷をみて、破傷風ということも漠然頭に浮かべたが、大丈夫と思い、当時トキソイド、TIGのテタノブリンを常備していたが、これらを投与しなかった。和一は、治療後、比較的元気な様子で、帰宅した。

3  被告平林は、翌四月二八日午前一〇時、再び来院した和一を診察した。創傷の状態や痛みを訴えていたことは前日と特に変化はなく、滲出液が多少出ていたものの、同被告が肉眼でみた患部の状態はきれいで、治る方向に向かっているように思われた。

この日は、上部を消毒し、包帯交換の処置をした程度で終わり、再度のデブリドマンはなされなかった。

4  和一は、鎮痛薬を服用していたが、四月二九日になっても受傷部位の疼痛がとれず、同日は日曜日で快明堂医院が休診であったので、午後三時から三時三〇分頃、当番医にあたっていた富士市松岡一一二九番地所在の被告藤井の藤井整形外科医院に自動車で行き、到着後すぐに被告藤井の診察を受けた。被告藤井は、昭和二九年に医師免許を取得し、昭和四一年から富士市で開業している整形外科・外科医であり、東京警察病院に勤めていた昭和三三、四年頃に破傷風患者の治療にあたったことがあったが、それ以外に破傷風患者を診たことはなかった。

被告藤井は、和一ないし付添の惠美子から、「一昨日、六〇キログラム位の石を足に落として受傷した。快明堂医院で縫合を受けた。」との説明を聞いた。和一は、痛みを訴えていたが、発熱はなかった。被告藤井が患部を診たところ、裂けた傷の親指の上側、背面の裂けた傷の全部が縫合してあった。骨折は明らかであったが、レントゲン撮影の末、右親指挫割創、第一、二趾骨骨折、足背打撲と診断した。

被告藤井が患部を診たところ、肉眼で見えるような汚物が残っているとか、分泌物があったということはなく、化膿も認められず、患部の発熱もなかった。被告藤井は診察の結果、右足親指の切断や抜糸を行なうほどではないと考え、切断、抜糸をしないで、傷を消毒し直し、看護婦に指示してトキソイド〇・五ccを筋注させたが、デブリドマンはしなかった。そのほか、抗生物質サマセフ、腫れをとる薬のダーゼン、鎮静剤(精神安定剤)セルシンを和一に投与した。

被告藤井は、和一が疼痛を訴えるので、「そんなに痛いのなら、痛みがとれるまで、二、三日入院しましょう。」と入院をすすめ、その結果、和一は入院することになり、松葉杖をついて二階の病室に上がった。同日夜、疼痛が続いたので、鎮痛剤カピステンの注射がなされ、痛み止めの睡眠剤ネムナミンの頓服が投与された。

5  四月三〇日は振替休日であったので、被告藤井は、和一を診察しなかったが、和一の状態は前日とほぼ同様であり、同被告の指示により、当直看護婦が抗生物質セルトールを二〇パーセントのブドウ糖に溶かして二回注射し、湿布、包帯交換をした。

6  被告藤井は、五月一日午前一一時回診に回り、和一の傷を診たところ、傷口の色が少し悪く、普通の皮膚と違うような色合いで、青味を帯び壊死状になっていたので、末梢血液の循環障害をきたすおそれがあると考え、半分位を抜糸し、点滴中の抗生物質を増やし、セルトール二グラムを一回、同一グラムを一回に、血栓阻止剤ウロキナーゼを点滴中に入れた。半抜糸にしたが、傷が汚なかったので開放にしたものであり、この時点では破傷風のことは特に考えていなかった。他に湿布交換もされた。

同日、尿蛋白検査をしたが、蛋白はワンプラス、糖はマイナス、グロビリノーゲンはマイナス、沈査はプラスの結果であった。

和一は、同日朝、看護婦が回ってきた際、右下肢を下げると痛い旨訴え、被告藤井は、同日夕刻、引継看護婦がその旨記載したのをみて、右事実を知った。和一は、同日夕方、見舞にきた実弟の義夫に対し、「朝方から顎のあたりがおかしい」と申し述べたことがあった。

7  五月二日午前中、被告藤井が回診した際、和一は疼痛を訴え、傷口の外側の色が少し悪くなっており、親指の外側が壊死状になっていた。回診前、血液検査のため血液を採取したが、その結果が判明したのは、転院後のことであった。点滴は前日と同じであり、抗生物質セファメジン〇・五グラムが筋注された。他に湿布の交換もされた。

確かに、被告藤井作成の診療録(<証拠>)裏面の主要症状経過欄の「2」と記載された横の部分の文字が削り取る形で消され、その上に新たに「夕方」と記載され、削り取られた部分の文字の判読は不能であり、原告らはこの点について「午前九時頃」か、「午前一一時」が記載されていたものである旨主張するところ、和一が午後四時三〇分頃に至り、看護婦に対し、「お昼あたりから顎のあたりがおかしい感じがしてお昼の食事を食べようと思ったけれども、あまり顎の調子が良くなかった」、「お昼のときは、ひどい痛みでなかったので、言わなかった。」旨訴えたことはあったが、それ以上に進んで和一が午前中に顎が痛むという訴えをしたことがあるとの事実を認めるに足りる確証はなく、被告藤井が本件事故発生後に前記診療録の記載を改ざんしたとの事実を認めるに足りる確証はない。

被告藤井は、同日午後四時三〇分頃、和一の訴えを聞いた看護婦から、「和一が顎が痛いとか、口が開きにくくて夕食が食べられないとか言っている」との連絡を受け、すぐ和一を診たところ、和一が両顎がおかしいというので両顎を押し触診したら、左側に圧痛があったので、顎関節炎でないかと考え、ステロイド副腎皮質ホルモン・デキサンを顎関節に注射し、様子をみることにした。その際、首が凝るとか、肩が凝るとかの筋肉の緊張状態の訴えはなく、手伝ってもらって頭と足を逆に体の位置を変えた。被告藤井は、この時点でも破傷風感染のことは考えていなかった。顎関節炎患者にも開口障害が起こることは医師に知られており、同被告は、破傷風の経験については前記のように一例にとどまるに対し、顎関節炎の患者はこれよりずっと多く年間一〇例位治療している。しかし、これまでに外傷を訴えた顎関節炎の患者はいなかった。

和一は、同日夕方、見舞にきた義夫に対し、「口も開かず、食事もとれない」と話し、午後七時二〇分頃、付添っていた原告惠美子に対しても、「口が開かない」と話し、原告惠美子が、「破傷風でないか」と言ったら、「顎に注射してもらった。」と返答した。和一は夕食を半分位残していた。

原告惠美子は、同日午後八時頃、見回りにきた看護婦に「破傷風でないか」と申し述べたが、「先生が付いているので大丈夫」と言われ、そのままになった。同原告は、その後まもなく、消灯で帰宅した。同原告は、同日午後一〇時頃、藤井整形外科医院に架電し、応対に出た当直看護婦に対し、破傷風のことが心配なので泊りたい旨言ったら、「様子をみてくる」からと待たされたのち、よく眠っているから心配ない旨返事されたので、来院しなかった。

8  被告藤井は、五月三日午前四時半頃、当直看護婦からの緊急連絡を受けて起床し、急遽午前四時五〇分頃、和一を診たところ、反張があり、胸苦しくして後頸部硬直の所見があったので、はじめて和一が破傷風に罹患しているのではないかと考え、直ちに原告惠美子にその旨電話連絡したうえ、中央病院の整形外科医長に電話して受け取りを願ったが、午前九時頃まで待ってほしい旨返事されたので、隣りの病室に暗幕を張って移したりしたが、来院した原告惠美子らからの強い要求で再度、前記整形外科医長に頼んだ末、引き受けてもらうことになり、午前六時頃、和一は、藤井が同乗した救急車で中央病院に転院した。その間、被告藤井は、鎮痛剤カピステン、鎮静剤フェノバール一アンプルを注射したが、当時テタノブリンを常備していなかったので、投与しなかった。また、和一に基礎免疫があるかどうかを尋ねたこともなかった。

9  中央病院では、和一の傷口を全部開けてもう一度、洗浄液でブラッシングなど一定の処置をしたうえ、和一を暗幕を張った病室に移した。被告藤井は、和一が病室に移されるのを見て帰った。中央病院整形外科の看護記録(<証拠>)の五月三日評価欄に「オキシフル洗浄、土砂様のもの摘出した」との記載があるが、サイン欄にサインがなく、看護婦が記入したものと思料されるが、記入した看護婦は不明である。創部を洗浄すると、血液の凝固、組織の壊死、膿などが出るのが普通であり、処置者はゴム手袋をしていたものと思われるが、これを脱いで素指で触わって本当に土砂様の異物と判断したのかも不明であり、医師のサインもなく、医師の関与のない記載であるので、血液の凝固や組織の壊死等の可能性も否定できず、右記載によっては摘出されたものが土砂様の異物であったものと断定することはできない。原告惠美子は、治療室から出てきた被告藤井が、「傷口から砂が出た」と発言した旨供述しているが、同被告は、右発言を否定し、却って、血の塊(血液のコアグラ)が出た旨供述している。原告惠美子は治療室で処置を見ていたものではないから前記認定を左右するに足りない。

中央病院の医師は、和一を破傷風、右親指末櫛骨開放性骨折と診断し、和一は右病名で入院した。入院した五月三日の和一は、顔色不良で、開口障害があったが、会話をできる状態で、息苦しいが呼吸困難や痙攣はなかった。

10  和一は、五月四日午前一時、腰痛が強く、痛みと同時に硬直出現し、間欠的に繰り返すようになり、午前三時にも硬直が全く収まらず、午前九時二五分硬直痙攣持続し、全身発汗著明になり、全身性痙攣が出現し、同日午前中、整形外科から外科に転科したのち、午前一一時三〇分気管切開され、午後零時二〇分筋弛緩剤ミオブロック注射により人工呼吸開始され、こうして呼吸及び全身の管理をされたが、救命されず、五月一六日午前零時四五分、本件創傷から侵入し産生した破傷風のため、死亡した。中央病院入院中、TIG三万七五〇〇単位が注射された。

中央病院は富士市地方の最大の総合病院で同地方で破傷風になれば、最後には同病院に運ばれてくるのが通例であるが、同病院における昭和五〇年から昭和五九年までの間の破傷風の治験例は僅か五例であり、昭和五九年五月当時、常勤、非常勤の麻酔医はいなかった。

以上の事実が認められ<る>。

三  創傷の処置について

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  創傷の治療は短期間での自然治癒、感染の予防などを目的にしてなされるが、実際の治療にあたっては、受傷者の状態、局所の病変が多岐にわたるため、臨機応変に対処すべきであって、創傷治療法を単一パターン化することは困難であるが、整形外科・外科の臨床医に従来行なわれてきた一般的並びに局所的処置の概要は次のようなものである。

(一)  新鮮な創傷をもつ患者の一般的処置としてまずショック及び出血に対する処置が大切であり、全身的な影響を及ぼす程度の出血があるときはすみやかに止血法を行なうとともに輸血、輸液その他の全身的管理が必要であるが、大出血でなければ創の清掃を行ないながら止血をも行ない、およそ二~三センチメートル位までの小さな創傷では創の周囲を消毒用アルコール、クロルヘキシジン(ヒビテン)の〇・〇五~〇・一パーセント液又はアルコール溶液で清拭し、滅菌ガーゼをあてて包帯する。受傷機転により創の挫滅、創周囲の汚染が著しいときは挫滅・壊死組織を切除して縫合する。顔面、頭部及び四肢の創は可能な限り縫合する。大きな創傷はできるだけ第一期癒合を営ませることが望ましく、そのためには縫合しなくてはならないが、現場の医師の経験と判断によりまずその創が縫合できるか否か、さらに縫合すべきか否かを決める。縫合ができるための条件は受傷後の経過と創傷及び周囲の状況により決まる。受傷後八時間位までは、創の清掃が十分行なわれ、局所の治癒障害因子がほとんど認められなければ縫合できる。創傷局所の処置が終わったら包帯をする。

(二)  縫合可能と考えられる創の、感染予防を考えながら行なうべき処置は、次のとおりである。創周囲の消毒として、原則として剃毛し、前記のとおり創縁から少くとも六センチメートルの範囲まで七〇パーセントアルコール又は〇・〇五クロルヘキシジン液で消毒し、ヨードチンキを塗布した場合はそのあとアルコールで塗布する。麻酔は局所麻酔が一般的であるが、創が大きいときは全身麻酔も必要となる。創内の清掃について、肉眼で見える範囲のものはピンセットで一個ずつ除去するが、組織内にあることが分かっていても受傷直後にさがし出すことが困難な場合は機会を改めて除去する。土砂、ガラス小片など微細な異物は過酸化水素水(三パーセントオキシフル)を注射液に入れ、創面に注ぎ泡末を生じさせて洗い流すこともできる。脂肪組織、筋膜あるいは腱などの挫滅したものはすべて除去し、完全に止血を行なって縫合を始める。

挫創に限らず土壌や汚物などにより汚染の甚だしいものではのちに重篤な感染を防ぎえないことが多いので、汚物、異物を除去したのち、創を開放するのが原則である。しかし、多少汚染があっても、他に縫合可能な条件が揃っていると考えられる場合は創面切除法を行なう。創面切除法は、受傷後、創内の細菌が活動を始め、感染の症状が現われるには六時間位必要であるので、受傷後六時間以内の新鮮な創傷に適用されるべきで、かなり時間の経過した陳旧創などは創面切除はせず、創の全部又は一部を開放のまま処置して二期的治癒を期待する方がよい。しかし、近年、抗生物質、化学療法の発達に伴いこれらの薬剤を全身的及び局所的に使用し、汚染創は積極的な手術によってきれいにしたのち縫合、閉鎖する傾向も、開放した場合よりも治癒期間の短縮が望めるため、みられる。創の縫合は、創腔に多少とも創液貯留が予想されたら誘導法(予防的ドレナージ)を行ない、二四~四八時間以内に抜去する。抗生物質は感染の防止、拡大に役立つので広く使用されている。創の汚染状況によっては破傷風、ガス壊疽の感染も考慮しなくてはならない。

(三)  初診時すでに縫合が不可能と考えられる場合は開放的に処置する。縫合ができても誘導(ドレーン)を必要とするような汚染創では無理して縫合するより広く開放したまま治療した方がよい。嫌気性菌の感染が予想されるような創では、縫合・閉鎖することは禁忌である。

開放的に処置するときでも、創の清掃、創周囲の消毒、創内異物や挫滅・遊離した組織の切除などは必ず行なう。創の清掃が終わったら滅菌ガーゼをあて、包帯して肉芽の発育をまつ。開放的処置の場合、感染は避けられないことが多いが、その徴候がみられたら菌の感受性、同定などを検索し適切な薬剤を使用する。このあとの処置に、晩期一次縫合、二次縫合がある。

(四)  また、整形外科、一般外科医の、著しい汚染創でない創傷の一般的処置として次のようにも説かれている。すなわち、まず創周辺を剃毛し、創の洗浄として、外傷による創傷は厳密にはすべて汚染創であるが、臨床上では刃物による切創は非汚染創に近く、鍬などによる割創は汚染創であり、前者は簡単な洗浄消毒でよいが、後者は十分なブラッシング、デブリドマンを含めた洗浄が必要になる。創の洗浄は、イリゲーターを用いた落差水圧によるものがよい。洗浄水は一般に生理的食塩水を用いる。デブリドマンをする前段階の洗浄は異物を物理的に洗い流すことが目的であるから水道水で構わない。洗浄液に一〇〇倍希釈の逆性石鹸液を用いるのもよいが、濃度がこれより薄くなると消毒薬としての殺菌効果は期待できない。創傷が大きく汚染が著しい場合は、洗浄液は水道水でよいから十分に洗浄して土砂を洗い出すことが肝心である。洗浄の仕上げとしてヒビテン液などで洗浄、消毒するのもよい。創傷の種類では割創、挫創、裂創、擦過傷は創縁に挫滅組織と土砂などによる汚染を伴うことが多い。十分に局所麻酔を行なったのちに創面のブラッシングをしながら土砂を取り除き、挫滅組織のデブリドマンを行なう。

(五)  以上に対し、救急外科における局所無菌法として、創周囲のブラッシングは、創周囲の汚れを拭き取り、剃毛し、創内の異物を清潔なガーゼや綿で拭き取り、創周囲を手洗い用ブラシやスポンジなどを用いてイソジンソープや〇・〇五%ヒビテン水にて十分ブラッシングすること、創内の洗浄は創内に五~八リットルの生理的食塩水を注ぎながら十分洗浄し、創内の異物を洗い流し、創周囲をイソジンなどで十分広く消毒し、滅菌シーツで被覆することなど、創の消毒に関して整形外科とで若干意見の異なることが説かれているが、右は挫創、刺創、咬創などのように組織の挫滅を伴い、しかも異物や細菌の混入の可能を含んだ汚染創についてのものであり、救急外科は著しい汚染創を治療の中心にしているため破傷風やガス壊疽を強く意識した治療法になるのに対し、整形外科は急性期の汚染創を取り扱うことが少ないために創傷部の遷延治癒からみた機能障害を大切にするために意見が分かれているものである。創傷は無菌的に近いものから汚染創までいろいろの創傷が存在するので、各診療分野の理念にとらわれず創の汚染度より消毒法を適宜に変えるべきであるといわれている。皮膚、手指の消毒薬はヒビテンやイソジンに限られるものではない。

2  和一の本件創傷の部位、程度、内容は前記認定のとおりであり、右足親指の開放性複雑骨折を主なものとするものであるところ、一般的な整形外科・外科医にとって、快復後の足指の機能上の配慮と本件創傷程度の骨折は、経験上、容易に治癒し易く、縫合しておけばよく接合するということが分かっているので、折れた足指を切断しないで、縫合処置することが多く、常識化している。

以上の事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

四  破傷風の病理、症状、診断、予後、予防及び治療について

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  病理

破傷風は破傷風菌の産生する破傷風毒素による中毒性疾患で、中毒性感染症のカテゴリーにはいる疾患である。破傷風菌は、長さ三~八μ、幅〇・六~一・二μのグラム性の嫌気性桿菌であり、一端に大きな芽胞を形成するのが特徴である。芽胞は熱や薬品に対して抵抗性があり、したがって、通常の消毒による殺菌は困難である。

破傷風菌が産生する菌体外毒素(以下「毒素」という。)には神経毒と溶血毒とがあるが、一般に前者を破傷風毒素といい、この世の中でボツリヌス毒素に次いで二番目に強い毒素で、破傷風は極めて微量の毒素量で発病するので治っても後天免疫ができず、再発、再感染が起こる。この点は、ジフテリアが後天免疫ないし自然に不顕性感染免疫が起こるのと好対照をなしている。破傷風菌は広く自然界に分布し、主に土壌中にあるが、家畜や人間の腸管にも生棲している。したがって、糞便により汚染されやすい田畑の土壌にはより高率に分布しており、汚染されている機会の少ない深山の土壌には少ない。そして、汚染された土壌が外傷を契機に創内に残ると嫌気的条件下に菌が増殖し毒素が産生されて発病する。僅か〇・一~〇・五ミリグラムの汚染土壌が創内に残留しても破傷風の発症が確かめられている。そのため、複雑骨折患者の創傷部位を細菌学的に完全に浄化することは不可能であるといわれている。古釘、木片、竹片などによる刺傷、のこぎり、鈍器その他による挫創、土砂のついた傷、複雑骨折などは特に注意を要する。不注意に土砂のついたまま縫合したり、異物の取り残しなどは特に危険である。しかし、中には外傷の既往を認めない症例もあり、扁桃炎や痔核が感染源となる場合もある。

地域ないし気候的には熱帯地方の低開発国、同じ国内でも南方に多く、北方に少ない傾向がある。例えば、北海道には少なく、宮崎、鹿児島などに多発する。季節的には、春夏に多く、秋冬には少ない。気温が高いとき、あるいは体を露出して屋外で作業、運動し、外傷を受ける機会が多くなる時期に破傷風になり易いと解されている。年齢には、新生児、小児、成人、老人いずれも罹患する。わが国における破傷風患者は年々減少傾向にあり、厚生省の指標によると、昭和四五年度には二四三名であったものが、昭和五〇年で一〇三名、昭和五七年で三六名と著しく減少している。破傷風患者の致死率は、昭和一五~二五年が四七・八パーセント、昭和二六~三五年が三九・六パーセント、昭和三六~四五年が四五・二パーセントであるが、昭和四六年~五五年、昭和五六年以降の致死率は各々二〇・二パーセント、一〇・五パーセントに著明に低下した。治療技術の向上を示すものであるが、抗毒素療法の普及や集中治療の発達にもかかわらず、その予後は必ずしも楽観を許さない疾患である。

2  症状

破傷風の臨床症状は、以下の病期に分けることができる。

(一)  潜伏期 感染後、次の前駆症状出現までの期間をいう。

通常は一週間前後である。感染後すぐに発症する場合は死亡率が高くなる。

(二)  第一期(前駆期) 全身倦怠感、肩凝り、頭痛などの前駆症状に続いて開口障害が出現するまでの病期である。口を開きにくい、物を咬みにくい、顎関節部が痛いなどの訴えがある。この病期では破傷風を疑い鑑別診断を行なうとともに、注意深く経過を観察する必要がある。

(三)  第二期(開口障害から痙攣の出現まで) 口を開きにくい、物を咬みにくいという自覚症状がさらに進行すると、明らかな開口障害(牙関緊急あるいは咬痙)を認めるようになる。開口障害とともに発語や嚥下障害を伴い、全身の筋緊張のために次第に歩行不能となる。痙笑(泣き笑い)あるいは破傷風様顔貌を呈する。またセ氏三七~三八度の発熱と著しい発汗を認め頻脈となる。この時期になると診断は容易である。

破傷風の一般的初発症状である開口障害から痙攣発現までの時期をオンセットタイムという。通常は三~四日であるが、四八時間以内の症例は後記のとおり致死率が高い。

(四)  第三期(痙攣持続期) 初めは発作的な強直性痙攣であるが、次第に頻度を増し、ついには重積状態となる。典型例では後弓反張を呈し、脊柱を前方に凸に屈曲して上肢を屈曲、下肢を伸展した体位をとる。しかし、この間も意識は保たれているのが本症の特徴である。

その他に直腸膀胱障害や喉頭痙攣、気管分泌物増加を伴う。通常五日前後あるいは重症例では七~一四日ほど続く。死亡例の大半は第三期に死亡する。

(五)  第四期(回復期) 次第に痙攣の頻度が減り、発語や嚥下も可能となる。痙攣が長期間持続した症例では筋の変性萎縮や関節の拘縮を伴うこともある。

3  診断

破傷風は、その特有の臨床症状から診断される。原因と思しき創部の分泌物や組織片を嫌気培養して、破傷風菌が同定されれば診断の一助となる。しかし、創部からの破傷風菌の検出率は一般に二〇~三〇パーセントと低いことや、原因と思しき創が不明であることも多いので菌の検出、固定に固執するのは治療を遅らせるもととなる。

本症に特有の検査所見はない。末梢血では白血球の増加を認める場合がある。また心電図上T波の逆転を示す症例がある。髄液検査や頭部CT上は特に異常を認めない。血清診断を含む免疫学的診断方法はない。

現在のところ破傷風に特有の検査がないため、診断は臨床症状をもとに行なう。

第一期の口を開けにくい、物を咬みにくいなどの症状をみた場合は破傷風を念頭におくべきである。第二期の開口障害や筋強直性痙攣をみた場合は、破傷風を疑い他の疾患との鑑別診断を行なう必要がある。開口障害は扁桃炎、顎関節炎などでも出現し、筋強直は関節炎や筋肉炎などでも出現し、また痙攣はヒステリー、日本脳炎などでも出現するが、開口障害、筋強直、痙攣の三つを有する疾患は少ないので、これらの出現した以降における破傷風とその他の疾患との鑑別は容易である。

4  予後

オンセットタイムの長短が破傷風の重症度、予後を占う最も重要、有用な方法であり、オンセットタイム四八時間以内のものを重症、四八時間以上を中等症、全身性痙攣のない者を軽症とする。

他に、開口障害、全身性痙攣、七日以内の潜伏期、四八時間以内のオンセットタイム、入院後二四時間以内の体温がセ氏三七・八度以上のおのおのに一点ずつ与え、点数が多いほど重症で、少ないほど軽症とするインドの学者の説などがある。

オンセットタイムが四八時間以内の症例の致死率は、昭和一五~三〇年は七五パーセント、昭和三一~五〇年は六八パーセントと高率であったが、昭和五一年以後二〇パーセントに低下した。近年における集中治療の成果であるといわれる。しかし、東邦大学医学部公衆衛生学教室教授海老沢功の集計によると、骨折が原因で破傷風にかかった者は症状が重く、三〇人中二六人がオンセットタイム四八時間以内の重症例で三〇人中二三人が死亡しており、致死率が高いとされている。

また、右海老沢功の研究によれば、オンセットタイム四八時間以内の重症例について、痙攣が始まる前、すわなち早期に治療を開始した三九人中二五人が死亡し、致死率六四パーセントで、痙攣が起きてから、すなわち治療開始が遅れた八三人中五三人死亡し、致死率六四パーセントであり、痙攣を起こすような重症破傷風患者では治療を早く始めても、少し遅れても致死率に差はなかった。オンセットタイムが三日以上の症例では早期治療群と遅期治療群の致死率はそれぞれ一八パーセントと一四パーセントで有意義な差がなかった。しかし、中ないし軽症例ではTIGの効果は認められており、現在破傷風の治療にTIGは依然として使用されている。

5  予防

わが国では昭和四二年まで破傷風の予防接種は一般的にはなされていなかったが、同年秋より乳幼児を対象にして破傷風の混合(三種混合)ワクチンが実施されるようになった。その後も他の年齢層については破傷風予防接種は広く呼びかけられていないので、予防接種をしていないのがほとんどである。したがって、一般的にいって外科医が外傷患者をみるとき、その大部分が非免疫者であると考えて外傷の程度に応じ受動免疫による予防対策を講じなければならない。しかし、創をみて破傷風発症の危険があるか否かを決定することは不可能である。

破傷風の予防にはトキソイドを用いる活動免疫が最も効果的、かつ安全である。普通、年齢、性、注射回数に関係なく、トキソイド〇・五ミリリットルを皮下に深く、あるいは筋肉内に注射する。間隔は一、二回目が四~六週、二、三回目が六~一八か月とし、三回の注射をもって破傷風予防接種完了者とみなされる。活動免疫の場合、破傷風予防に必要な最小血中抗毒素量は〇・〇一u/ミリリットルで、トキソイド〇・五ミリリットル一回の注射では一か月にこのレベルに達する者は、学童、成人の少数例であるが、二回の注射に対しては五~一〇日以内に抗体を産生しうる準備状態ができる。二回目の注射を四~六週後に行なうと〇・一~〇・一五u/ミリリットルの抗毒素値が一〇~一四日以内に得られ、この値は六~一二か月の間に次第に減少する。三回目の注射後は一~二u/ミリリットルの抗毒素量に達し、約五年間は〇・〇一u/ミリリットル以上の値を示すものが多い。

破傷風は予防ワクチンの普及によって絶滅できる。いったん発症すれば、多くの医療機器や人員による集中治療が必要となる。それ故、予防こそが本症の最良の治療法であり、破傷風は予防接種の対象とすべき疾患であり、治療の対象とするな、ということがいわれている。

受傷者の破傷風予防には、まず創傷の浄化、特に壊死に陥った組織の切除、土砂、竹片などの異物の完全な除去、深い刺傷の開放、不要な縫合の中止など一般的外科的注意を完全に行なう。多くの場合、これだけで十分のことがある。抗生物質はペニシリン系が有効である。外傷が軽微ならば抗生物質は不要である。次いで、破傷風非免疫者であっても外傷が些細であれば以上の基本的処置だけでよいが、汚染がひどく危険と思われたら、一側の肩にトキソイド〇・五ミリリットルを注射し、さらに必要に応じてTIG二五〇単位を筋注する。ただし、抗生物質自体は毒素に対して無効であり、その予防効果には限界があり、トキソイドのみの投与では、基礎免疫のない限り、抗体価が上昇するのに数週間を要するため、理論的には予防的効果が疑問視される。事実トキソイドの投与にもかかわらず発症する例がしばしば報告されている。したがって、TIGの投与は基礎免疫のない患者に対してとりうる唯一の予防処置の如く考えられるが、TIGを投与しても発症する例もある。したがって、現在のところ、活動、受動両免疫を併用することが基礎免疫のない患者に対しとりうる最も良い方法と考えられている。また、破傷風発病予防のために通常用いられているTIGの量は二五〇単位であるが、その根拠は二五〇単位を注射すると約三、四週間は破傷風発病予防に必要な最小の血中抗毒素の量である〇・〇一単位又はそれ以上の抗毒素が維持できるという実験成績にあるけれども、これは主として健康な人にTIGを注射して静脈血液を定期的に採取して調べたものである。

破傷風毒素は神経末端から神経を逆方向に一時間約一センチメートルのスピードで中枢に向かって運ばれて行き、神経に入った毒素は抗毒素血清(TIG)によっては中和されず、全く無力であり、予防処置は受傷後約六時間以内のゴールデンタイム内に行なうことが必要である。

昭和五九年当時使用されていた従来の筋注TIGの場合には血中抗体価がピークに達するには約二日かかり、この間の破傷風毒素の侵入に対しては無力であった(静注用TIGが開発されたのはその後のことであり、昭和六〇年一二月より薬価基準に収載されている。)。

昭和五九年四月当時、中都市における開業医の一般的処置としてテタノブリンを注射することが行なわれていたのは一定の極く限られた地域に限られ、富士市はその中に含まれていなかった。

6  治療

治療の基本は、局所創部の破傷風菌の根絶と筋強直や痙攣に伴う呼吸障害の処置にある。

感染創は開放し、壊死組織を十分に郭清する。そのあと過酸化水素で洗浄する。ペニシリン製剤による創洗浄も有効である。

TIGをできるだけ早期に筋注する。TIGの投与量に関しては初回に五〇〇〇単位を筋注すれば追加投与の必要はないといわれているが、二万~八万単位の大量使用をすすめる学説もある。TIGはヒト由来のグロブリン製剤であるため、アナフィラキシーの危険性は少ない。

抗生物質は前記のとおり毒素に対しては無力であるが、破傷風菌そのものに対しては効果がある。第一選択はペニシリンGであるが、本剤を使用できない場合はテトラサイクリン系薬剤を用いる。

痙攣に対しては、軽症例では抗痙攣剤のみで治療する。しかし、重症例の痙攣重積状態に対しては筋弛緩剤や鎮痛剤を併用することも多い。この際は機械的人工呼吸を行なう。

破傷風の治療上、呼吸管理、循環管理、体液・栄養管理は極めて重要である。本症は患者数が多くないので医師が治療経験を積むことが困難であり、原則として麻酔科医の常駐する特殊救命センターでのみ治療すべきものとされている。このような場所以外で治療することは治療が不成功に終り易いという点で大変危険である。人手が十分にあり、麻酔専門医、熟練した看護婦のいる集中治療室(ICU)に入院した方がよいといわれる。

以上の事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

五  被告平林の不法行為責任の存否

1  原告らは、和一の創傷は汚染された挫創であるのに被告平林の洗浄その他の創傷処置が不十分で、創傷内に異物が残されていた旨(請求の原因3(二)(1))主張する。

和一の受傷機転が屋外で作業中、誤って六〇キログラム位の石を長靴の上から落として負傷したものであり、受傷したのは破傷風の発生の高い陽春の時季であったこと、和一の創傷は主に複雑骨折を伴う右足親指の挫創であり、破傷風はいかなる外傷からも感染する可能性があるものであるが、鈍器その他による挫創、土砂のついた傷、複雑骨折などは特に破傷風に注意を要するものとされていること、破傷風の発症率は極めて低いものの、昭和五九年当時でも致死率はかなり高いものであったこと、他方、糞便により汚染されやすい土壌のある田畑での受傷ではなく、被告平林の診察当時に肉眼でみえるような土や泥などの異物の付着は認められなかったこと、和一の創傷は右足親指先端部分で、直径約十ないし十数ミリメートル位の不整形の円形状をなしたという比較的小さな傷であったこと、被告平林の診察当時和一には口が開けにくい、物を咬みにくい、顎関節部が痛いなどの破傷風の前駆症状が現われていなかったことなどは前記一ないし四認定(争いのない事実も含む。以下同じ)のとおりであり、右事実によれば、四月二七日当時に、和一について嫌気性菌である破傷風菌の感染が具体的に予想されたとか、あるいは医師としては破傷風を疑うべき状態にあったとまでは認めることができないけれども、受傷後まもなくに和一を診察した整形外科・外科医師の被告平林としては、創傷内への破傷風菌の混入の可能性をも考慮して消毒その他の創傷処置にあたるべきものであるということができる。

そうして、和一の創傷内から中央病院で土砂様の異物が出たものと認め難いことは前記二認定のとおりであり、他に和一の創傷内に異物が残されていたことを認めうる証拠はなく、原告ら主張の局所無菌法が有効なものであることは前記三認定のとおりであるが、それが唯一の創傷処置法ではなく、受傷者の状態や局所の病変等に応じ医師の一定の裁量が認められていることは同所認定のとおりであり、生理的食塩水も異物を物理的に洗い流すことが目的であるときは水道水に代えることが許容されているし、前記四認定のように破傷風菌の芽胞は熱や薬に対して抵抗性があり、通常の消毒による殺菌は困難であることによれば、生理的食塩水の不使用も不相当なものとはいえず、前記二認定の被告平林のなした洗浄、消毒、デブリドマンの処置は、破傷風菌混入の可能性を考慮すべきものとしても、整形外科・外科医に一般的に行なわれている範囲内のものであると認めることができるところであって、この点に過失があるものとは認めることができず、他に右過失を認めるに足りる証拠はない。

2  次に、原告らは、開放創のまま処置すべきであった旨(前同)主張する。

被告平林としては、破傷風菌の感染が具体的に予想されず、かつ、破傷風の疑いをもつべきであるとまでの程度には達していなかったものの、創傷内への破傷風菌混入の可能性をも考慮して創傷処置にあたるべきであったことは前叙のとおりであり、和一が前記創傷内に侵入した破傷風菌のため死亡したものであることは前記二認定のとおりであるから回顧的には開放創とすべきものであったとはいえるが、前記三認定の創傷処置に関する諸事実、なかんずく、和一の創傷程度の受傷については縫合処置するのが常識化していることにかんがみれば、被告平林が、回復後の右足親指の機能上の配慮から縫合処置したのは、医師の裁量の範囲内の事項というべきであるから、この点について被告平林に過失があるものと認めることはできず、他に右過失があるものと認めることはできない。

<証拠>(防衛医科大学校病院救急部助教授岡田芳明作成の回答書)中には、和一の本件創傷については縫合処置するか、せいぜい粗に縫合してドレナージを容易にしておくべきであったとの記載があるが、他方、<証拠>(同人作成の意見書)には、一期的に縫合するか、遷延性一次閉鎖法を選択するかは最終的には術者の判断によるものと記載されているので、右意見は必ずしも前記認定に抵触しないものと解されるが、仮に右意見が被告平林の縫合処置を不相当とするものであるとしても、整形外科・外科の臨床医に従来行なわれてきた一般的、局所的処置の概要は前記三認定のとおりであって、本件創傷程度のものについて縫合するときはせいぜい粗に縫合してドレナージを容易にしておくべきであったということが昭和五九年当時における臨床医の一般的水準として定着していたとの事実を認めるに足りる確証はないので、被告平林に、そのようにすべき義務があったとまでは断定することができないといわなければならない。

3  さらに、原告らは、和一に対して破傷風予防のため、トキソイド、TIGを投与すべきであった旨(同3(二)(2))主張する。

被告平林としては、和一の創傷内に破傷風菌混入の可能性をも考慮して創傷処置、治療をすべきであったことは前叙のとおりであるから、抽象的な可能性の段階であったとしても、前記二ないし四認定のようにトキソイドを常備し、受傷後一時間余りのちのゴールデンタイム内に和一を診察した被告平林は、トキソイドを筋注すべきであったものということができる。しかしながら、トキソイド〇・五ミリグラムの投与のみでは、基礎免疫のない和一に対しては抗体価が上昇するのに数週間を要するものであることは前記二ないし四認定事実により明らかである一方、同認定事実によれば、和一には受傷後約五日経った五月二日夕方、午後七時前後頃に開口障害を生じたものであり、受傷から開口障害発生時期まで右程度の短期間であり、五月四日午前一時頃か、遅くも同日午前九時頃には全身性痙攣が出現したものでそのオンセットタイムは三〇ないし三八時間位の重症例であったことが認められるので、トキソイドを筋注したとしても破傷風の発症ないし死亡の結果を回避することができたものとは認め難いから、その不注射と和一の死亡との間に因果関係があるものと認めることができず、他に右因果関係を認めるに足りる証拠はない。

TIGについては、被告平林は前記二認定のようにテタノブリンを常備していたものであるからその筋注をするのが望まれたことは当然であるが、前記四認定の昭和五九年当時、中都市における開業医の一般的処置としてテタノブリンを注射することが行なわれていたのは一定の極く限られらた地域に限られ、富士市はその中に含まれていなかったとの事実に徴すれば、破傷風菌混入の可能性を考慮すべきであることその他これまでに認定説示したところを併せ考えても、被告平林にTIGまで筋注すべきものであったとは認め難く、TIGの注射をしなかったことをもって同被告に過失があったものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。のみならず、従来の筋注用TIGは、通常使用量の二五〇単位を使用しても血中抗体価がピークに達するのに約二日かかり、その間の破傷風菌の侵入に対しては無力であることは前記四認定のとおりであり、前叙のように受傷後開口障害の発生までが約五日間位で、オンセットタイムが四八時間以内である重症例の和一については、TIGの投与によっても破傷風の発症、死亡の結果を回避することができたものとは認め難いから、テタノブリンの不投与と和一の死亡との間に因果関係があるものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

4  したがって、被告平林に和一の死亡による損害を賠償すべき責任があるものと認めることはできないというべきである。

六  被告藤井の不法行為責任の存否

1  原告らは、被告藤井の洗浄等が不十分で和一の創傷内に砂が残されていた旨(請求の原因3(三)(1))主張する。

前記一ないし四の認定事実に前記五1に説示したところによれば、四月二九日に和一を初診した被告藤井も、被告平林と同様に、和一の創傷内への破傷風菌混入の可能性をも考慮して創傷処置、治療にあたるべきものであるといえるが、和一の創傷内に砂様の異物が残されていたとの事実は前叙のとおり認められず、前記二認定事実によれば、被告藤井が、創傷の壊死状になっているのに気付いて所要の処置をしたのは治療開始三か目の五月一日午前一一時頃の回診の際に至ってからであったところ、四月二九日には分泌物がなく、化膿も認められず、翌四月三〇日は振替休日で休診であったことによれば、右回診前に血液循環の途絶を認識しなかったこともやむをえないものと認められ、その他被告藤井の創傷処置に不十分な過失があることを認めるに足りる証拠はなく、仮に不十分な点があったとしても、被告藤井が診察したのは受傷後四四時間位経過後のことで、受傷後約六時間といわれるゴールデンタイムを大幅に超過したのちで、すでに客観的には本件創傷内に混入した破傷風菌が神経に入って毒素を産生していたものであり、骨折を起こした末端節を切断しない限り(本件において、その切断をすべきであったとまでの事情は認められない。)、破傷風の発症、死亡を回避することができたものとは認められないから、これらとの間に因果関係がないものというべきである。

2  また、原告らは、五月一日に開口障害が発生したので直ちに破傷風治療のため、トキソイド、TIGの投与や転院の措置を講ずべきであった旨(同3(三)(2))主張する。

被告藤井が初診日の四月二九日にトキソイド〇・五ccの注射をしたことは前記二認定のとおりであり、被告藤井がトキソイドを注射しなかったことはない。

和一に破傷風の一般的初発症状である開口障害が生じたのは五月二日午後七時前後頃であることは前叙のとおりであり、前記四認定事実によれば、開口障害発生後における破傷風の鑑別診断は容易なものであるから、被告藤井が日頃みている開口障害のある患者はもっぱら顎関節痛の患者であることを十分考慮したとしても、前記二認定のように被告藤井が五月三日午前四時頃に至りようやく破傷風の診断をしたのは、約一〇時間弱の時間、右鑑別診断が遅れたものというべきであるが、富士市のような中都市では昭和五九年当時、テタノブリンを注射することは一定の例外的地域を除いて開業医の一般的処置として行なわれていなかったことは前叙のとおりであるから、被告藤井にTIGを投与すべきであったとはいえない。

もっとも、破傷風の疑いを抱いたならば、確診にまで至らずとも、速かに原則として麻酔科医の常駐する特殊救命センターその他の破傷風の治療可能な病院に転院させるべきであるが、前記二ないし四認定の和一の場合のようにオンセットタイム四八時間以内の重症例の致死率は六四パーセントの高率で、しかも痙攣の始まる前とその後から破傷風の治療を開始した症例に差はないとされ、現在破傷風の治療にTIGが使用されているのは主に中ないし軽症例でその効果が認められていることによるものであること、破傷風予防のため用いられるTIGの量は通常二五〇単位であるが筋注用TIGでは前叙のように血中抗体価がピークに達するのに約二日かかり、TIGを投与しても発症する例があること、破傷風治療のためのTIGの投与量については最初に五〇〇〇単位を筋注すれば追加投与の必要はないといわれているが、二万~八万単位の大量使用をすすめる学説もあり、その使用量も医学上確定していると断定しうるか疑問の余地があること(なお、中央病院が和一に投与したTIGは前記二認定のとおり三万七五〇〇単位であり、五〇〇〇単位の学説によれば多過ぎ、八万単位の学説によれば少ないということになる。)、破傷風には特有の診断方法もなく、臨床症例をもとに診断をせざるをえず、治療上、呼吸管理、循環管理、体液・栄養管理が極めて重要であり、原則として麻酔科の常駐する特殊救命センターでのみ治療すべきものとされ、こうした場所以外で治療するのは不成功に終り易いということで危険であるといわれているが、富士市地方で破傷風になれば最後には転院先となるのが通常であるところの中央病院(和一も同病院に転院したことは前記のとおり)には昭和五九年当時麻酔医はいなかったことなどの諸事実によれば、前叙のとおり仮に被告藤井が和一を早期に転院させたとしても和一の死亡の結果を回避することが相当程度の蓋然性をもって可能であったとまでの事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、不転院と和一の死亡との間に因果関係のあることを認めることはできないといわざるをえない。

3  したがって、被告藤井に和一の死亡による損害を賠償すべき責任があるものと認めることはできないというべきである。

七  結論

以上によれば、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 榎本克巳)

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